往時からの景勝地に歴史を訪ねて <鹿児島市喜入瀬々串町>

ちょうど鹿児島と指宿の中間くらいに位置するのが瀬々串だ。もちろんJRの駅もあり国道も通り、利便性は高いところである。それはいつの時代もいっしょで街道の町として栄えた地域でもある。今回はそんな瀬々串を「街道」をキーワードに歩いてみよう。

① JR瀬々串駅

現在の指宿枕崎線が指宿線として開業したのは昭和9年のこと。昭和11年に山川駅まで延伸されて、さらに昭和38年に枕崎駅まで続いた。ということで瀬々串駅の誕生は昭和9年5月20日の開業となる。お隣の中名駅といっしょでもある。

② 宮崎神社

普段、車での移動だとつい見過ごしてしまうのが国道226号沿いの宮崎神社。創建や御祭神は不明だが、御神体として9つの軽石が祭られている。言い伝えによると、この御神体はある地域から知覧へと移そうとしていたのだが、瀬々串の海岸に到着した時に急にこの地で重くなり動かすことが出来なくなったという。そのため、瀬々串を安住の地に定めて祭るようになったのが始まりとされている。12月に当神社で行われる豊祭には、手打ちそばが振舞われ、そば切りホゼ(豊祭)として周辺では有名とのこと。

③ 湧水

瀬々串上公民館のそのすぐ下手には、湧水井戸がある。現在もコンコンと水が湧き、この地域の落ち着きを演出している。昭和30年に簡易水道が施設されるまでは、ここの水が生活のために使用されていた。道路より一段下がった井戸には水神が祭られていて、井戸が開設された年と同じ明治6年の文字が刻まれている。

④ 力石

幕末の大坂相撲で活躍した力士に瀬々串出身がいる。音乃瀬という名前で「うだっ(大抱)投げ」という決まり手ではない技を得意としていた。ところが、試合でこの技を使ったことから相手に疎まれて毒も盛られてしまうことになる。それだけ音乃瀬は強かったということだろう。そのゆかりなのか公民館には、青年たちが力比べに利用した力石が保存されている。もちろん、簡単には上げることができないものでもある。

⑤ 番所跡

瀬々串は指宿方面へ向かう重要な街道沿いにある。それだけに通行人の管理は薩摩藩が直接的に行うことになっていた。設置の年代は不明だが、ここには足軽が交代で常勤したという。現在当時の足跡はたどれないが、昭和8年に周辺が崩れた際に、食器類や仏像が発見されている。

⑥ 瀬々串浦

山の方へ上ってゆくと、正面は山、背中は桜島と大隅半島を向こうにした海という景色のコントラストが楽しめるようになり、そこが「瀬々串浦」である。「瀬々串浦」は、古くから景勝地として知られていて、文禄元年(1592年)、検地のために薩摩入りした教養のある戦国武将、細川幽斎は、「瀬々串に鳴くは冬田の雀かな」と、この地を表現している。

 

東川隆太郎 プロフィール

【職歴・略歴】

東川隆太郎NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会代表理事。「まち歩き」を活動の中心に据え、地域資源の情報発信や、県内及び九州各地での観光ボランティアガイドの育成・研修、まちづくりコーディネートなどに従事する、自他ともに認めるまち歩きのプロ。
主なテーマは、地域再発見やツーリズム、さらに商店街やムラの活性化など。講演活動、大学の非常勤講師などを通しての持論展開のほか、新たな地域資源の価値づけとして「世間遺産」を提唱するなど、地域の魅力を観光・教育・まちづくりに展開させる活動に従事している。1972年鹿児島市生まれ。鹿児島大学理学部地学科卒。

2016-03-30

カテゴリ:いっぺこっぺさるこうかごしま

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