台地の上の物語 ~自然豊かな田代を歩く~
現在は大根占町と合併して錦江町となった旧田代町は、とにかく周辺を豊かな山林に囲まれ、自然を思う存分に満喫できる地域である。それだけに林業で栄えた地域でもあった。特に、下流で雄大な滝を形成している雄川沿いでは、季節ごとにそれぞれの遊びや学びの場を提供してくれる。地域を代表する建物には「でんしろう館」がある。このでんしろうというキャラクターは田代にたくさん生息するカブトムシがモデルになっている。現在はお茶の製造も盛んで、ニジマス釣りができる自然公園もある。今回は、そんな田代の魅力を歩いてふれてみよう。
① 花瀬公園
春には花見、夏には涼、秋には紅葉と、田代で一番有名かつ不思議な風景を見せてくれるのが、花瀬公園である。溶結凝灰岩(約10万年前の阿多火砕流堆積物)が河床に広がり、水量の少ないときには、そこで宴会(鹿児島ではおでばいと表現される)などを催すことのできる自然の公園は、現在に限らず景勝の地として古くから知られている。
② お茶亭跡
この花瀬は、有名な藩主島津斉彬公も来訪した場所である。嘉永6(1853)年11月16日、向潟巡検と称して大隅や日向をぐるっと巡る視察の途中での一休みの場所が花瀬だった。ここに茶席が設けられ、松の植樹も行なっている。残念ながら松は枯れてしまったが、茶亭の釜跡はしっかり保存されている。斉彬公と同じ気分で、河床からの眺めを楽しんでみてはいかがだろうか。
③ 森林軌道橋脚跡
雄川の河床の一部に、大きめの穴が規則正しく、河床をまたぐ橋と平行するように並んでいる。これは昭和3年に開設された森林軌道の橋脚跡。川の上流域ではかつて植林や伐採が盛んであったため敷設され、昭和16年には、軌道は海に面した大根占まで開通している。かなりの距離をトロッコが行き来していた様子を伝える穴である。
④ 花瀬神社
もともとは花瀬三所権現とも呼ばれていた。祭神は三柱とされているが、明らかになっているのはウガヤフキアエズノミコトのみで、あとの二柱はわかっていない。とにかく河川敷に鳥居があり、そこから上る参道の雰囲気がとっても素晴らしいのでぜひ立ち寄ってほしい。
⑤ 近津神社
境内に広がる林の植生が珍しいのが近津神社。特に目を引くのがモミの木で、社殿に向かう参道に、まるで神社全体を守っているようにどっしりと並んでいる。目通りが4メートルのものが3本、2メートル以上が4本もある。モミの木は、このあたりが九州本土の南限とされていて、こうした木もさらに深い山林でないとあまり見ることがないとなれば、さらに一見の価値がありそうである。神社の創建は、永禄8(1565)年で、この辺りを勢力圏としていた称寝重長が軍陣祈願のために勧請したと伝えられている。
⑥ 盤山集落
近津神社のさらに山手の斜面には、茶畑が広がっている。盤山と呼ばれる集落で、かつては与論島に住んでいた人々が開拓した地域である。戦前与論島から満州に渡り、終戦後、満州からこの田代にやって来た。盤山とは満州にある地名であり、入植した人々は苦労を重ねながら、美しい茶畑を開墾させた。本当に眺めのいい場所で、お天気のいい日は遠くの山々も一望できる。
東川隆太郎 プロフィール
【職歴・略歴】
NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会代表理事。「まち歩き」を活動の中心に据え、地域資源の情報発信や、県内及び九州各地での観光ボランティアガイドの育成・研修、まちづくりコーディネートなどに従事する、自他ともに認めるまち歩きのプロ。
主なテーマは、地域再発見やツーリズム、さらに商店街やムラの活性化など。講演活動、大学の非常勤講師などを通しての持論展開のほか、新たな地域資源の価値づけとして「世間遺産」を提唱するなど、地域の魅力を観光・教育・まちづくりに展開させる活動に従事している。1972年鹿児島市生まれ。鹿児島大学理学部地学科卒。