古い港町、市来湊をたずねて -いちき串木野市-
薩摩藩の主要街道であった出水筋が通り、また湊町としても繁栄した交通の要所です。歴史を感じさせる史跡も多く、落ち着いた街並みです。また市来湊では伝統的に焼酎造りが盛んで、受け継がれるもののよさを醸してくれる蔵が点在しています。平坦地が多くまち歩きには最適といえるでしょう。
【いちき串木野市役所市来庁舎から出発】
①薩摩藩のお仮屋跡
市来湊の地頭仮屋は藩政時代に、この地域の政務と司る場所でした。当時は四方に柵が設けられ、二階建ての楼門があったといいます。藩主なども参勤交代の際には寄る場所だっただけに、整えられていたのでしょう。
②八坂神社
商売の神様として市来の町で盛大に行われる祇園祭りが例祭として行われます。幾度となく社殿は改築されていて、現在のものは昭和35年の竣工したものです。境内には地域の歴史を静かに伝える記念碑群が並んでいます。
③恵比寿
市来湊には藩政時代に商売が許可された野町がありました。その商売の神様として信仰されていたのが、この恵比寿です。当時の風格をそのままに伝えてくれる大きさです。地域によって現在も大切にされています。
④町門の跡
市来湊において商売が許可された野町の入り口を示す門があった場所です。明和4(1767)年以前は、年に一回だけの市の開催でしたが、許可が出てからは月22日に一回開かれるようになりました。市来湊の野町は、港町と接していることからにぎやかだったようです。
⑤八房神社
御祭神は、源為朝などで、創建の時期は定かではありませんが、大正12年には石段が改築されるなどしました。また海に突き出るような場所にあることから、大正15年には護岸の改修もされています。このような立地環境が独特の雰囲気を醸し出しています。
⑥菅原神社
現在の菅原神社は、市来神社に合祀されています。元々あった場所がここです。市来神社は、近くにあった熊野神社が氏子が少数のために祭事が十分でなくなり、昭和16年に合祀することになりました。学問の神様である菅原道真公は港町で大切に祭られてきました。
【ゴール いちき串木野市役所市来庁舎】
東川隆太郎 プロフィール
【職歴・略歴】
NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会代表理事。「まち歩き」を活動の中心に据え、地域資源の情報発信や、県内及び九州各地での観光ボランティアガイドの育成・研修、まちづくりコーディネートなどに従事する、自他ともに認めるまち歩きのプロ。
主なテーマは、地域再発見やツーリズム、さらに商店街やムラの活性化など。講演活動、大学の非常勤講師などを通しての持論展開のほか、新たな地域資源の価値づけとして「世間遺産」を提唱するなど、地域の魅力を観光・教育・まちづくりに展開させる活動に従事している。1972年鹿児島市生まれ。鹿児島大学理学部地学科卒。