活火山と歴史の島・硫黄島を歩こう

今から約7300年前に破局的噴火により陥没した鬼界カルデラの一部にある火山の島が硫黄島である。訪れる人々を圧倒させる風景は、その名残りでもある。それだけに鬼界ヶ島と呼ばれる時期があった。現在は、火山のめぐみである温泉もあり、特産品の大名竹は最高に美味しく、観光にも力をいれる島である。今回はそんな島を散策してみよう。

 

① 黒木御所跡

南の島ゆえに流人の島でもあり、また日本本土で生活することができなくなった人々が流れ着く島でもあった。そんな流れ着いた人々のひとりに源平合戦で亡くなったとされる安徳天皇がいる。言い伝えによると、数多くの家来を引き連れて流れ着き居住したのがこの場所とされている。現在は村によって整備され、当時使用していた井戸などが保存されている。また安徳天皇の子孫家とされる長濱家の史料も展示されている。

② 熊野神社

硫黄島大権現とも呼ばれ、港を望む場所に建立されている。その名前の通り、紀州の熊野権現から御祭神などを勧請したといわれている。勧請したのは、平清盛ら平家の転覆を謀った罪で配流された僧俊寛、平康頼(やすより)、藤原成経(なりつね)。早く赦免してほしいとの思いを込めての勧請であった。この神社から登場する旧暦8月1,2日に行われる八朔踊り(はっさくおどり)では、独特の面をつけた「メンドン」が登場して訪れる人々を沸かせる。

③ 安徳天皇墓所

壇ノ浦の戦いから逃れてきた安徳天皇は寛元元(1243)年に66歳で亡くなったとされている。その天皇他お付きの人々の墓が並ぶ場所がここである。五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)などの古石塔が幾種類にも並んでいる。この一帯は別名「御前山」とも呼ばれている。墓所の奥には安徳天皇の妃である櫛笥局(くしげのつぼね)の墓もある。

④ 俊寛堂

歌舞伎の演目にもなっている僧俊寛の悲劇。平家転覆を謀った鹿ケ谷の陰謀によって、配流されたが、俊寛だけは赦免されることなく、この島に住み続けて亡くなったとされている。その俊寛の墓とされる場所がここ。島の方々が長い間にかけて大切にしてきた場所でもある。墓のあるお堂への道はまるでじゅうたんのように苔が敷き詰められていて、とても雰囲気がある。

⑤ 平家城跡

島では北側に位置する高台が平家の城と呼ばれる場所である。ここからは、まず鹿児島本土がよく見える。天気の良い日には開聞岳なども望むことができる。反対側には硫黄島の最高峰である硫黄岳がそびえるようにある。火山ガスをつねに出し続けている姿には圧倒される。その裾野の海岸付近は、硫黄岳由来の熱水が流入していることから色が変色していることが分かる。こうした眺望の良さから、逃れていた平氏の侍たちが追ってくる源氏を監視していたとされている。また、歌舞伎公演記念の銅像もある。

⑥ 岳の神

別称蔵王(ざおう)権現社で、社殿が硫黄岳の方向を向いているのが特徴。現在でも噴火活動を繰り返している硫黄岳は、まさに力の象徴でもあり、島の神社のなかで最も力のある神社とされ、島の人々が初詣などで、最初に訪れる神社とされている。熊野神社と両方あわせて両社権現ともいわれ、祭礼も同じ日に開催される。正面にある赤い鳥居が目印。

 

 

 

 

東川隆太郎 プロフィール

【職歴・略歴】

東川隆太郎NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会代表理事。「まち歩き」を活動の中心に据え、地域資源の情報発信や、県内及び九州各地での観光ボランティアガイドの育成・研修、まちづくりコーディネートなどに従事する、自他ともに認めるまち歩きのプロ。
主なテーマは、地域再発見やツーリズム、さらに商店街やムラの活性化など。講演活動、大学の非常勤講師などを通しての持論展開のほか、新たな地域資源の価値づけとして「世間遺産」を提唱するなど、地域の魅力を観光・教育・まちづくりに展開させる活動に従事している。1972年鹿児島市生まれ。鹿児島大学理学部地学科卒。

2016-11-28

カテゴリ:いっぺこっぺさるこうかごしま

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