太平洋に面した商都・志布志を歩く

 

志布志は現在も貿易港として栄え、サンフラワーも寄港する鹿児島を代表する港のひとつである。そんな志布志の町には、往時からの繁栄を示す深い歴史性を有する文化財が数多く点在する。今回はそれらをじっくり歩いてみよう。

① 大慈寺

日本十刹のひとつとして、南九州第一の臨済宗派の寺院として栄えた。開山は玉山禅師で、中国で八年間学んだ後に大慈寺を開いた。現在の寺域も広大だが、隆盛を誇った時期には周辺のほとんどが寺の関係敷地であった。当時の様子は境内に残る仁王像や由緒ある墓の数々が静かに伝えてくれる。そのなかには一時期大隅半島全体に勢力を伸ばそうとした楡井頼仲の墓もある。

② 志布志千軒町

平安時代から港としての機能があり、特に江戸時代に入ると、大坂方面への藩米の輸送を中心とした国内貿易の拠点として栄えた。船舶数も記録によると、宝暦11(1761)年には86艘、天明3(1783)年には95艘と、おおよそ100艘ほどの船が志布志において活躍していたことになる。それだけに名のある廻船業者もいたようで、元禄16(1703)年の東大寺大仏殿の再建における梁木(霧島山中の赤松)の回航には、志布志の大商人・山下弥五郎などが関わっている。

③ 宝満寺跡

旧歴の4月8日に行われるお釈迦祭りで有名な宝満寺跡。創建は聖武天皇の頃と伝えられる古刹だが、明治2(1869)年の廃仏稀釈によってかつての建物などは焼失してしまい、仁王像や岩窟、背後の自然林などが少しだけ往時を偲ばせてくれる。地域住民の熱意によって建立された観音堂があり、そこが現在の信仰の対象となっている。志布志を代表する「お釈迦祭」は、この場所から始まる。

④ 志布志城跡・地頭仮屋跡

貿易の拠点だった前川の前にあるのが志布志小学校。ここは藩政時代に地頭仮屋が置かれた場所で、志布志の政治の中心であった。また背後の山は、国の重要文化財にも指定されている中世に栄えた志布志城跡である。ここだけではなく、周辺の山も山城の一部で、空堀や土塁などが中世の山城の特徴をよく伝えている。県歴史資料センターの黎明館に模型がある。

⑤ 平山氏庭園

さて地頭仮屋を中心とした武士の居住区である麓には、美しくまた個性的な庭園を有する屋敷がふたつある。ひとつが平山氏庭園で、作庭には天台宗の住職が関わっていることから、自然石を巧みに利用しているだけではない世界を表現しているようである。江戸時代初期の作庭といわれ、下段の岩盤には満月を彷彿させる円形の穴が彫り込んである。また、西側の庭には大日如来の化身のような多宝塔をかたどった灯籠もある。

⑥ 天水氏庭園

天水氏庭園で、志布志城を借景にした枯山水様式。ついつい時間を忘れて眺めてしまう。面積は120平方メートルもあり、江戸時代中期の作庭といわれている。自然の大岩盤を巧みに利用していて、サツキツツジやクチナシ、ハナショウブなどが配置されている。築山と枯池のバランスも素晴らしく、常緑樹の刈り込み生垣も美しい。

 

 

 

 

 

 

東川隆太郎 プロフィール

【職歴・略歴】

東川隆太郎NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会代表理事。「まち歩き」を活動の中心に据え、地域資源の情報発信や、県内及び九州各地での観光ボランティアガイドの育成・研修、まちづくりコーディネートなどに従事する、自他ともに認めるまち歩きのプロ。
主なテーマは、地域再発見やツーリズム、さらに商店街やムラの活性化など。講演活動、大学の非常勤講師などを通しての持論展開のほか、新たな地域資源の価値づけとして「世間遺産」を提唱するなど、地域の魅力を観光・教育・まちづくりに展開させる活動に従事している。1972年鹿児島市生まれ。鹿児島大学理学部地学科卒。

2017-01-30

カテゴリ:いっぺこっぺさるこうかごしま

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