徳之島の中心市街地・亀津を訪ねて
サンゴ礁の海や闘牛で有名な徳之島。その政治・経済の中心地が亀津です。
飲食店やスーパー、ホテルなどが立ち並び、徳之島の食や観光を堪能できる市街地でもあります。
今回は、街なかに点在している意外な史跡をじっくり散歩したいと思います。
① 亀津闘牛場
徳之島といえば闘牛というくらいにすぐに思い浮かぶ島の大事な文化のひとつ。島のそれぞれの町にはかならず闘牛場があるが、亀津地区の闘牛場はここ。亀津には他にも民間の闘牛場もある。島では闘牛のことを「なくさみ」と言い、黒糖地獄と呼ばれた藩政時代には、気持ちを慰める楽しみのひとつでもあった。ちなみにここからの亀津市街地の眺めは最高。
② 高千穂神社
麦穂峯と呼ばれる場所に明治2(1869)年に建立された。ニニギノミコトを祭る霧島神宮から勧請されたもので、戦時中は武運長久の神として多くの人々が参拝に訪れていた。現在は、冠婚葬祭や初詣など様々で、境内には菅原神社や護国神社なども祭られている。市街地から鳥居をくぐる階段を上った場所にあるが、その上り口付近には藩政時代に留置所があったという。
③ 吉満親子の胸像
徳之島町の図書館などが入る建物の敷地にある。まず父親の吉満義志は、江戸時代から明治初期にかけての徳之島の文化・社会・生活などを紹介した「徳之島事情」を執筆した人物。その息子の義彦は、上智大学の教授であり思想や哲学の研究者でもある。有名な文学者の遠藤周作の恩師にあたり、文学の道を志すように勧めた人物でもある。
④ 若水森
亀津のバス停の裏側にある。バス停付近は永浜と呼ばれる場所で、昭和20年頃までは闘牛や運動会などが行われていた。さて若水森は亀津の聖地で、かつては亀津一帯の神事がノロによって執り行われる場所でもあった。当時はその名前の通りで森があったという。
⑤ 秋葉神社
徳之島高校などのある通りから少し上った場所にある。ここも亀津の市街地を眺めるにはベストなところでもある。元々は文化元(1804)年に讃岐国の金毘羅神社から勧請したのが始まりとされている。つまり航海安全といった漁業の神様として信仰されていた。文政年間に寄進された石碑などもあることから長く地域で信仰されてきたこともわかる。伊勢神社の天照大神も合祀されている。
⑥ 秋徳湊の戦いの古戦場跡
亀津の市街地から亀徳港に向かう場所にある。慶長14(1609)年の薩摩藩による琉球侵攻の際の激戦地。その頃の徳之島を琉球王国に属しており、その年の3月20日に島津軍勢が秋徳湊に侵攻してきた。迎え撃ったのは佐武良兼と思呉良兼の兄弟で、多彩な武器と軍勢を駆使した島津軍をかなり苦しめた。結局は鎮圧されてしまうが、奄美諸島では記録に残る激戦地であった。
東川隆太郎 プロフィール
【職歴・略歴】
NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会代表理事。「まち歩き」を活動の中心に据え、地域資源の情報発信や、県内及び九州各地での観光ボランティアガイドの育成・研修、まちづくりコーディネートなどに従事する、自他ともに認めるまち歩きのプロ。
主なテーマは、地域再発見やツーリズム、さらに商店街やムラの活性化など。講演活動、大学の非常勤講師などを通しての持論展開のほか、新たな地域資源の価値づけとして「世間遺産」を提唱するなど、地域の魅力を観光・教育・まちづくりに展開させる活動に従事している。1972年鹿児島市生まれ。鹿児島大学理学部地学科卒。