中世の面影を求めて~入来文書の世界を訪ねて入来の武家屋敷散策~

世界中の日本に関する歴史研究者が注目する本のひとつに、「入来文書」がある。アメリカで出版されたのは1929年のことで、エール大学の朝河貫一教授によって翻訳されたものであった。
この本で描かれているのは、鎌倉時代、地頭として現在の北薩地方に入部した渋谷一族のひとつ、入来院氏に関する文書の世界で、封建制度を知る上での貴重な史料でもある。
つまり世界中の研究者にとって入来は特別な地域であり、おそらく中世を研究する人が一度は訪れたいと思う地であろう。
それだけに入来の、特に地域の方々によってその景観が美しく保たれている麓地区には、武家屋敷とともに名所・旧跡が点在している。

① 船瀬殿の墓

川内川の支流のひとつである入来川には船着場として交通・交易の役割を担っていた船瀬が設置された。現在の川にその名残を求めることは難しいが、管理をしていたとされる船瀬殿の墓が、川近くに静かに並んでいる。小さいながらも立派な五輪塔は、当時の川の管理が重要な仕事であったことを教えてくれる。

② お仮屋跡

武家屋敷群の中央に位置するのが、現在の入来小学校であるが、かつては仮屋が置かれ、それ以前は背後の山を含めて清色城と呼ばれていた。入来仮屋は、鹿児島城下にある鶴丸城を模したものといわれ、濠や広馬場が設置されており、今も目にすることができる。始めにここを築いたのは入来院氏ではなく平田増宗という琉球出兵の副将だった人物だが、故あって暗殺されている。

③ 赤城神社と六地蔵

清色城跡近くの道の真ん中に、赤城神社がある。かつては麓に居住する武士団の産土神として信仰された。御祭神は月読命などで、境内には六地蔵がある。こうした六地蔵の文化は、鎌倉武士でもある渋谷氏こと入来院氏が薩摩の地に根付かせたもののひとつである。この赤城神社周辺は、以前杉の大木に囲まれ、いかにも鎮守の森といった雰囲気であったという。

④ 重来神社

樋脇川を渡ると、川向こうの正面には重来神社がある。この神社の御祭神は、入来院氏の15代重時公で、関ヶ原の戦いにおいて戦死した人物である。そのため、戦時中などは軍神として信仰され、武運長久を祈る参拝者が大勢いたという。きつい階段だが、上りきると周辺が一望できていい。

⑤ 寿昌寺跡

寿昌寺は、入来院氏の菩提寺であった。残念ながら廃仏毀釈によって廃寺となったが、歴代領主などの墓が現存している。石祠型のかなり立派なものが19基もあり、入来院氏の権勢が表現されているようである。入り口付近にある手水鉢や六地蔵塔、また裏手には、住職などの墓も並ぶなど、入来の石文化を堪能することもできる。寺跡の前には、廃仏毀釈で傷つけられた仁王像が並んでいるが、これに荷担した人には祟りがあったとの話が伝わっている。

⑥ 勝野ふじ子文学碑

現在の国道を歩くと新しい記念碑が見えてくる。郷土出身の作家である勝野ふじ子の文学碑である。勝野ふじ子は、昭和14年に発表した「蝶」という小説が第10回芥川賞の候補になった。その後、「うしろかげ」や「平田老人」といった作品を発表したが、30才の若さで亡くなっている。

 

 

 

 

 

 

東川隆太郎 プロフィール

【職歴・略歴】

東川隆太郎NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会代表理事。「まち歩き」を活動の中心に据え、地域資源の情報発信や、県内及び九州各地での観光ボランティアガイドの育成・研修、まちづくりコーディネートなどに従事する、自他ともに認めるまち歩きのプロ。
主なテーマは、地域再発見やツーリズム、さらに商店街やムラの活性化など。講演活動、大学の非常勤講師などを通しての持論展開のほか、新たな地域資源の価値づけとして「世間遺産」を提唱するなど、地域の魅力を観光・教育・まちづくりに展開させる活動に従事している。1972年鹿児島市生まれ。鹿児島大学理学部地学科卒。

2015-02-02

カテゴリ:いっぺこっぺさるこうかごしま

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